『クリムト展~ウィーンと日本1900』

梅雨が本格化し土砂降りの雨の中、『クリムト展~ウィーンと日本1900』に行ってきたので、クリムトのその美の謎を自分なりに考えていきたいと思う。

klimt2019.jp

 

クリムトの美はどこから?

クリムトは「融合力」の天才である。

と、最初にクリムトの特徴を一言で片付けてしまいたいと思う。

ここでいう「融合力」とは、既存のものを吸収し消化させひとつの完成体として露出させることをいう。

クリムトは既存のもの、西洋絵画の人物描写や当時流行っていたデザイン等だけではなく異国、特に日本のデザインや構図などを積極的に取り入れ吸収した。そして、それらの相容れないように一見思える要素をそれぞれの良さを生かしつつ、ひとつの自己流の方式として融合させたその完成度の高さに、他には類を見ないセンスがある。

本ページでは、クリムトは何から何を取り入れ、どう自分の絵画のスタイルとして昇華させていったのか、①黄金の美、②官能的な女体の美、③抽象的な幾何学美、の3つの要素にわけて考察していきたいと思う。

 

①黄金の美

 クリムトの絵の最大の特徴となるのは、「黄金」である。

なぜクリムトが黄金を用いるようになったのか、というのは話は簡単で、クリムトが彫金師の家の下に生まれたからである。その後、美術学校を卒業してからウィーンの都市計画に伴う劇場装飾の仕事を請け負うようになったときも、絵画の周辺を彩る額縁装飾に彫金技術が見て取れる。

しかし、それを絵画に”挿入”するようになったのは、おそらく日本画の影響で間違いないだろう。クリムト琳派の絵画に傾倒したと言われている。背景に金を用いる手法という点では、そっくりである。

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上: 尾形光琳『紅白梅図』

下:『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I』(1907年)※本展示会の展示作品ではない

 

クリムトの絵画に金箔が特に用いられるようになったのは1900年頃からであるが、ジャポニズム自体はフランスでは1870年頃には顕著になっているので、日本流を取り入れるのが遅いといえば遅い。クリムトは1892年に父と弟を相次いで亡くしており、かなりのショックを受けたことが記録として残されている。そのショックの時に、自分の絵画のスタイルに悩む精神的な逆境に追い込まれたのかもしれない。その時に行き着いたのが、憧れ親しんでいた日本のスタイルと自分の家系の仕事に共通する「金」だったのではないだろうか。

②官能的な女体の美

クリムトの側には常に女の影があったという。絵画のモデルというような愛人のような女たちが常に複数人おり、その女たちとの間に幾人もの子供がいた。

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『ユディトI』1901年

本展示会の目玉作品となっている『ユディトⅠ』も官能的で恍惚とした表情が印象的である。女性の描き方自体には印象派のようなぼやけた様々な微妙な色使いによる肌の質感が見て取れる。

しかし、ここで注目してほしいのは、「女」を際立たせる構図である。ここでも日本の絵画のスタイルが取り入れられている。大きく分けると、(i)輪郭線の強調、(ii)極端に細長いキャンバス、である。

(i)輪郭線の強調

まず、人物や物体の輪郭が線で表現されるのも、ジャポニスム以前のヨーロッパではあまり見られない表現方法であったという。背景と人物が同化してしまうような印象派の絵画と違って、クリムトの絵は人物の輪郭を線で画してしまうことによって、絵画の中心である女を目立たせることができる。

(ii)極端に細長いキャンバス

クリムトの絵画には極端に細長いキャンバスに描かれたものがある。これも日本画の影響だとされており、日本画だと「柱絵」と称される。柱絵とは住居の柱に貼り付けられて鑑賞されてていたものであり、使用方法から綺麗な状態で現存しているものは非常に少ない。細長い構図の中に人物が押し込まれたように見えることで、人物以外の余計な情報を排除することができ、人物の表情や動きに視線が集まって集中して見ることができる。定型的な長方形の中に描くのではなく、あえて細長いキャンバスの中に女を配置することで、まるで”覗き見”しているような集中度で人物を捉えることができる。

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柱絵構図

 左:『女ともだちⅠ(姉妹たち)』(1907年)

③抽象的な幾何学

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ベートーヴェンフリーズ』

クリムトの特徴といえばもうひとつ、絵画を彩る幾何学模様である。背景や人物が着る服などに散りばめられている独特な幾何学模様が、どことなくクリムトの描く世界観がこの世のものではない神秘的な雰囲気であることを感じさせる。当時流行っていたアール・ヌーボーの影響であると言われているが、同時にまたしても日本の影響があることを指摘されている。

ベートーヴェンフリーズ』をよく目を凝らしてみると、幾何学模様が家紋のように見えるのである。また、上の『女ともだちⅠ』には市松模様が用いられているし、度々見られる曲線は『紅白梅図』の波線を模したようにさえ見える。

クリムトが懇意にしていた女性が日本のテキスタイル、つまり着物を愛用して収集していたと言われている。日本の着物のデザイン性に感銘を受けて、それを取り入れたのだと思われる。

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赤子(ゆりかご)(1917年)

 

まとめ

 クリムトは、ある意味0から1を生み出す美術家であったとは言えないだろう。絵として綺麗ではあるが現代絵画としてはメッセージ性に欠けるし、デザインの域を出ていないように思える。しかし、西洋絵画と日本絵画の特徴をここまで練り上げて、誰も真似することができない自己のスタイルを確立させた美術家はいない。既存の絵画スタイルに囚われない他文化の要素を取り入れ融合する発想の柔軟性、結晶させられるセンスにおいては随一の作家であろう。デザインを美術として昇華させた、という意味ではクリムトの右に出る者はいない、と個人的には思う。

 

本展覧会について

本展覧会の展示方法としては正直微妙であったと思う。クリムト自身の作品数が少なかったせいだけではなく、展示の流れが何を伝えたいのかよくわからなかったのだ。小タイトルが細かく別れすぎていて、その中身を充実させていない。クリムトの生涯を追う形の展示と思いきや、時系列はばらばらであった。日本画の影響についても展示会の中で散財していて、統一的な理解に至りにくい。コンセプトの軸の通っていない展示会だと個人的には思った。

 

おわり