書評『アート・イン・ビジネス』

 

アート・イン・ビジネス -- ビジネスに効くアートの力

アート・イン・ビジネス -- ビジネスに効くアートの力

  • 作者:電通美術回路
  • 発売日: 2019/12/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 『アート・イン・ビジネス』の出版記念イベント(2020年1月29日)に参加してから2ヶ月経ってしまいましたが、やっと本書を読む時間ができ、読了したので書評をしたいと思います。

art-sss-art.hatenablog.com

 

1.本書の概要

 本書は、アートがビジネスにおいてどのような役割を果たすことができるのか、事例を紹介し分析している内容となります。電通社員が中心となって構成された美術回廊というチームが本書を執筆しています。
 第1部では「アート・イン・ビジネスとはなにか?」という題で、アートをビジネスに取り入れている会社の取り組みを紹介しています。取り上げられているのは、寺田倉庫・ヤマハマネックススマイルズの4社です。寺田倉庫はアート作品の運送・保管業とプレイスブランディングの取り組みについて、ヤマハはアーティストとの共同開発事業について、マネックスは社員発足の美術部による組織活性化の取り組みについて、スマイルズ(Soup Stock Tokyoの経営会社)は経営者のコンセプト創造過程について、を解説しています。
 第2部では、「アート・イン・ビジネスの理論的背景と実践法」という題で、ビジネスがアートに関わる方法を理論的に分析し整理しています。アートに関わる社員の意識調査を定量調査で行っているのですが、数字としてアート効果を分析しようとする試みとして面白いと思いました。また、本書では会社がアートを取り入れる方法を、「With(アートとともに)/By(アートによって)/For(アートのために)」に分けて、具体的な実践例も含めて紹介しています。ビジネス×アートの場面を分類する指標として、とてもわかりやすいと思いました。

 

2.本書の中で印象に残った部分

岩井俊雄氏のスピーチ
 本書では、ヤマハのアーティストとの共同開発事業について取り上げています。その中でも、アーティスト岩井俊雄氏とヤマハの商品開発担当者によるTENORI-ONという次世代楽器の開発の過程を重点的に解説しています。TENORIーONのプレスリリースにおける岩井氏のスピーチを引用しているのですが、その一文は非常に印象的でした。

「もしかすると音楽というモノを、一次元的な時間の流れだけではなく、たとえば我々がグラフィックとか立体とかそういう二次元や三次元で扱ってるモノとして、扱うことができたら、もしかして音楽というモノを、もっともっと発展させることができるんじゃないか」

 ヤマハは、楽器事業は6割であるにすぎず、その他は音響機器や音響電子部品といった工業メーカーの側面を持つ事業スタイルとなっています。”グラフィックや立体とか…二次元や三次元で扱っている”という部分は、楽器だけではなく工業製品のメーカーであるヤマハの商材を的確に捉えた表現であると思いました。楽器や工業製品は立体で三次元的であることは誰しもが疑いようもないだけに、楽器や工業製品という三次元体を製作できること自体が企業としての強みになるということは、誰もが考えつかなかったのではないでしょうか。「立体・三次元であるそのものを価値として捉えていいんだ!」という新たな視点を企業側に吹き込むメッセージとなったのではないでしょうか。
 企業は時代の変化に即した、あるいは時代を先取りした”コンセプト”を打ち出すことが求められます。企業はコンセプトづくりに頭を悩ましているのではないでしょうか。現代アートがコンセプト・アートになってから久しいわけで、まさにアーティストにとってはコンセプトづくりは本業のするところです。アーティストは”コンセプト・メーカー”としての役割が求められているといえそうです。従来、企業コンセプトづくりは、それこそ電通のような広告会社やコンサルタントの仕事であったはずです。ですが、より独創性・哲学性思考を持つアーティストにその役割が移っていき、アーティストはより現実的・分析的思考を持つコンサルタント的な存在に寄っていくのかもしれません。

②遠山正道氏のキャッチコピー
 株式会社スマイルズの創業遠山正道氏の発言も本書で引用されています。

「アートはビジネスではないけれど、ビジネスはアートに似ている」

 アーティストは作品を制作することよって、会社は事業を運営することによって、社会に対して新たな価値を提供しています。どのような価値を提供するかを表現したものが、”コンセプト”です。アーティストと会社に共通するコンセプトメーカーとしての一面を端的に表現している一文だと思いました。

 

3.本書の中で気になったこと

(1)企業の取り組みについて、紹介・分類で留まってしまっているところ
 本書では、企業の取り組みを具体的に紹介し、実践事例を分類する形で分析しています。ですが、個々の取り組みの中身について有効的な分析ができているかと言われると疑問が残ります。企業が何に課題を感じていて、その課題解決のためになぜアートを取り入れたのか、どのような方法でアートを導入したのか、導入するにあたってどのような障害があったのか、取り組みを実践した結果に課題解決があったのか、どのような影響がもたらされたのか……そういった点が分析されるべきであったと思いますが、ふんわりとした記述にとどまっている印象でした。アートを導入したい企業があったとして、そういった会社の参考になるような再現性のある事例紹介になっているとまでは言えないのでは、というのが私の感想です。

(2)アーティスト側の調査がないこと
アーティスト側の視点がないのは片手落ちであると思いました。本書はアーティストがビジネスの現場に積極的に関与することを推奨しています。が、当の本人であるアーティストがビジネスと関わるにあたってどのように考えているのか、アーティスト自身がビジネスと関わることを肯定的に捉えているのか、アーティスト側の意識が本書では明らかにされていません。アーティストのビジネスに対する意識調査もあれば、ビジネスとアートが関わる具体的な過程を想像しやすくなったのではないかと思います。

 

 全体的に評価付けや分類に留まってしまっていて、せっかく具体的な事例を紹介しているのであるから、電通らしい事業分析がなされていればもっと読み応えがあったのになあ、というのが感想です。

 

以上!

書評『教養としてのアート 投資としてのアート』

『教養としてのアート 投資としてのアート』(徳光健治氏)を読了したので、書評を書いていきたいと思います。

 

教養としてのアート 投資としてのアート

教養としてのアート 投資としてのアート

 

 現在のアート業界が何を考えて、現代アートを評価しようとしているのか、アート業界の潮流をざっくりとわかりやすくまとめた批評でした。
事実やデータというよりも、筆者の経験や知見からの直感的な評価という内容ですが、私が持っているアートに対する思想と共通するところもあり、非常に面白かったです。

 

現代アートの評価軸は「発明品」であること


現代アートとは何を基準に評価されるのか、それを徳光氏は「コンセプトが新規的であること」「美術史上の発明品であること」と説明しています。
最近作品を見る機会が増えるにつき、今自分が見ているアートが美術史上の文脈のどこに位置づけられていて、作家は何を新しい表現として試みようとしているのか、そういった観点で見ていこうと思っていたのですが、それはまさに発明品という言葉にぴったりだと思いました。
では、アート作品の「コンセプトが新しい」とどうやって評価されるのでしょうか。

それは概ね美術評論家であったり大手アートオークション会社が評価付けをするわけです。

しかし、美術評論家とオークション会社は密接な関係性を持っています。

そして、価値を評価する者と作品を売る側が一致しているというのは構造として不自然です。徳光氏はこの構造をシンジケートが価値をつくっている、まさに「インサイダー」の構造であると指摘しています。まさに。

東証が投資家に公正中立であり、強力な規制により投資家間の情報の平等化が図られているからこそ、公正な取引ができるのでありますから、美術業界の構造は単純に言ってしまえば東証が株の価値を決めているような構造となってしまうっているわけです。およそ公正透明な取引ができているとは言えません。

 

アート評価の「民主化


しかし、その構造も崩れているのではないかと徳光氏は指摘しています。

SNSが発達している今、アートの評価も「民主化」「大衆化」し始めているからです。

一握りの美術評論家やオークション会社が価値の評価付けという特権を独占するのではなく、大衆に支持されたアーティスト、大衆による評価がアートの価値を決めるということです。
アートの価値を一般大衆で共有することができれば、よりアートは一般市民に寄り添うようになるでしょう。もっとも、美術評価の専門性を見捨ててよいというわけではなく、一定の評価方法を学ぶ必要、すなわち美術教育の体系化・一般化も必要となるでしょう。

 


本書ではアート作品を購入するときの心得についても解説されています。アート作品を購入する場所であったり、購入すべきアーティストの見分け方等、最初に頭に入れておくべき、ざっくりとした指針として興味深い視点です。
アート購入は専門的知見がないと取り組みにくいところもあるので本書だけを読んで購入できるようになるとは思いませんが、「こういうことを念頭に入れておけばよいのね」とギャラリストと話すときのきっかけ程度にはなるかもしれません。
また、10万円程度で作品が購入でき、コレクションのとっかかりになるようなおすすめ注目アーティストも紹介されていて、とても参考になりました。


アート業界の核心的なところを平易な文章で書かれていて、とても読みやすい本だと思いました。
ご興味のある方は、ぜひお手にとってみてくださいね

 

 

SBIアートオークション下見会

2020年1月31日

SBIアートオークション下見会

今日はSBIアートオークションの下見会に行ってきました😃

SBIアートオークションの下見会に行くのは昨年ぶりくらい。


f:id:sss_xxx:20200201110818j:image

アートオークションの下見会は買えなくても行くべきです!(笑)

  • アートオークションは新進気鋭の作家の作品が並んでいて日本現代アートの潮流がわかりやすいこと
  • 希望競売価格(というんでしょうか?)が提示されているので、素人でも絵画の価値がわかりやすいこと
  • 「鑑賞」ではなく「購入する」気持ちを持ちながら見られるとまた絵画を違った視点で見られること
  • 無料!笑(SBIの場合)

 

SBIアートオークションで今回出品される作品の中で気に入ったアーティストの方がいたので、備忘録がてら紹介します。

1.名和晃平氏 HP:KOHEI NAWA

 泡のようなガラスビーズの作品で近年注目の名和晃平氏。今回の出品作品では泡のガラスビーズ作品というよりも小規模の絵画メインでした。出品作品どれもが、「泡」のような球形のモチーフを中心とする世界観が確立されていて、見ていると吸い込まれてしまうような、不思議な訴求力がありました。球形をモチーフとする作家は多いですが、名和氏の球形は「粘菌」や「水滴」のような”小さきモノが身体を寄せ合っている”繊細さから、自然性を感じて、私は非常に好きです。

f:id:sss_xxx:20200203102054j:plain

名和晃平氏・代表作

2.松山智一氏 HP:tomokazu matsuyama, 松山智一

一群の絵の中でもぱっと目を引く松山智一氏の絵画。ポップアートの鮮やかな色彩遣いと浮世絵のような幻想感が独特の世界観を放っていました。松山氏は、19年10月、ニューヨークを象徴する「バワリー・ミューラル」の壁画を手がけたことで一躍日本でも注目され、情熱大陸にも取り上げられています。今後の活躍が期待されるところではありますが、一方でデザイン性が強すぎて「0から1をつくる作家」でありうるのかは個人的には気になる所ではあります。

f:id:sss_xxx:20200203102956j:plain

松山智一氏作品

 3.大庭大介氏 HP:https://www.daisukeohba.com/

 下見会では大庭氏の作品は一点しかも30cm四方の割と小規模の絵だったのですが、一際繊細見たことのない色調の美しさに目を奪われてしまいました。波打ち際で見つけた貝殻の螺鈿のような、理科の実験で見たガラスから放たれるプリズムの瞬きのような、七色の輝きは派手さはなくても、自然と目が引かれるものがあります。

私、リ・ウーファンも好きなんですけど、極限まで余剰を排除したシンプルさやメタリックな輝きを持っている絵画に惹かれる傾向にありそうです。

f:id:sss_xxx:20200203104655j:plain

f:id:sss_xxx:20200203104729j:plain


 以上、個人的注目作家の紹介でした!

その他だと、SBIアートオークションは草間彌生の作品を出品していましたが、彌生ちゃんの絵は世界観そしてお値段ともに別格ですね…

オークション当日の様子は、藝大卒展に行っていたので見られなかったのですが、なかなか高価格帯での買い落としがされたようですね。私も近いうちになるべく早く買う側に回りたいものです。

では! 

『アート・イン・ビジネス』出版記念イベント

2020年1月29日

『アート・イン・ビジネス』出版記念イベント@代官山蔦屋

 

『アート・イン・ビジネス』とは、アートをビジネスにどう取り入れるか、その実践法を考察・実践している、「美術回路」のメンバーによって執筆された書籍です。

www.bijutsukairo.com

f:id:sss_xxx:20200131105129j:plain

アート・イン・ビジネス出版記念イベント

 私は実はイベント当日まで『アート・イン・ビジネス』という書籍が発売されていることすら知らなかったのですが(💦)、当日偶然にもTwitterでイベント開催を知り、イベント1時間前に予約申し込みをしました。

 久しぶりに来た代官山蔦屋。チャリで来た(マジ)。

f:id:sss_xxx:20200131110007j:plain

 

「アートパワー」…とは?

 アートをビジネスに取り入れるにはどうしたらいいのか。その実践のためのキーワードであり、今回のトークの中心ワードでもある言葉が「アートパワー」でした。

 「アートパワー」とは、アーティストが有しているような、問題提起力・想像力・実践力・共創力をいうそうです。この定義によると、まさにアートパワーは、ビジネスの世界で求められている能力。アートに触れることで、またはアーティストと関わることで、アートパワーを培い、率いてはビジネスの能力も向上させることができる。そういうアートの力を示すことで、アートをビジネスに取り入れるきっかけとなるのではないか。ということだと私は解釈しました。

 ビジネスというのは、結果・利益・効能を求める性質であるので、アートの効能をある程度示さなければならない。けれど、その問いは「アート」とは何か、という根源的な哲学的な問いでもあるもので、アートの利益・効能を語るのは非常に難しいと感じましたね。例えばスポーツ業界は、アート業界よりずっとビジネスとの結び付きが一般化していて、スポンサーシップが確立しているわけですが、スポーツの利益・効能を語るのに比べてアートの効能を語るのは、非常に抽象的・感覚的な言葉に頼らざるを得ない。アートの良さをどう語るか、は今後私にとっても最大の課題となりそうです。

 さらに、トークイベントの中では「アートの内在化」という単語もキーワードとなっていました。私解釈ですが、アーティストの有する人生観・世界観を追体験、共鳴化することによってアーティストが有するアートパワーを自らにも取り込み、獲得する作業を「アートの内在化」といっているそうです。

 うーん、これも非常に難しい。まず、”アートパワー”をアーティスト自体が備えているのか、アートパワーを有しているアーティストがどれ程いるのか、という疑問が私には生じましたね。私自身がアーティストの接点がまだあまりないので、そう感じてしまうのかもしれません。

 また、「アートの内在化」の作業にあたっては、特に現代アートでは、アート作品を見て作家の世界観・思想を解釈するという言語化の作業が不可欠なような気がするのですが。「わー、きれいだー」「なんかパワーを感じる」で終わってしまってはいけないという…。美術は言語に頼らないからこそ良さがあるのに、美術鑑賞における言語化の作業って、それって美術の敗北ではないか…?という疑問があるんですよね。視覚的な感性を言語で細断してしまってよいのか。

 

 というように(?) 美術回路さんは、アートの本髄に迫ろうとする、正解のない難しい世界に取り組まれようとしているんだな、という発展途上性を感じました。

私自身まだ『アート・イン・ビジネス』を読めていないので、理解が不完全なところがあるかもしれません。イベント中のトークは「アートとは何か?」という哲学的な問いに迫るものだったので、非常に触発された2時間でした。

 今後の美術回路さんの取り組みを応援しています!

 

アート・イン・ビジネス -- ビジネスに効くアートの力

アート・イン・ビジネス -- ビジネスに効くアートの力

 

『クリムト展~ウィーンと日本1900』

梅雨が本格化し土砂降りの雨の中、『クリムト展~ウィーンと日本1900』に行ってきたので、クリムトのその美の謎を自分なりに考えていきたいと思う。

klimt2019.jp

 

クリムトの美はどこから?

クリムトは「融合力」の天才である。

と、最初にクリムトの特徴を一言で片付けてしまいたいと思う。

ここでいう「融合力」とは、既存のものを吸収し消化させひとつの完成体として露出させることをいう。

クリムトは既存のもの、西洋絵画の人物描写や当時流行っていたデザイン等だけではなく異国、特に日本のデザインや構図などを積極的に取り入れ吸収した。そして、それらの相容れないように一見思える要素をそれぞれの良さを生かしつつ、ひとつの自己流の方式として融合させたその完成度の高さに、他には類を見ないセンスがある。

本ページでは、クリムトは何から何を取り入れ、どう自分の絵画のスタイルとして昇華させていったのか、①黄金の美、②官能的な女体の美、③抽象的な幾何学美、の3つの要素にわけて考察していきたいと思う。

 

①黄金の美

 クリムトの絵の最大の特徴となるのは、「黄金」である。

なぜクリムトが黄金を用いるようになったのか、というのは話は簡単で、クリムトが彫金師の家の下に生まれたからである。その後、美術学校を卒業してからウィーンの都市計画に伴う劇場装飾の仕事を請け負うようになったときも、絵画の周辺を彩る額縁装飾に彫金技術が見て取れる。

しかし、それを絵画に”挿入”するようになったのは、おそらく日本画の影響で間違いないだろう。クリムト琳派の絵画に傾倒したと言われている。背景に金を用いる手法という点では、そっくりである。

f:id:sss_xxx:20190706001135j:plain

上: 尾形光琳『紅白梅図』

下:『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I』(1907年)※本展示会の展示作品ではない

 

クリムトの絵画に金箔が特に用いられるようになったのは1900年頃からであるが、ジャポニズム自体はフランスでは1870年頃には顕著になっているので、日本流を取り入れるのが遅いといえば遅い。クリムトは1892年に父と弟を相次いで亡くしており、かなりのショックを受けたことが記録として残されている。そのショックの時に、自分の絵画のスタイルに悩む精神的な逆境に追い込まれたのかもしれない。その時に行き着いたのが、憧れ親しんでいた日本のスタイルと自分の家系の仕事に共通する「金」だったのではないだろうか。

②官能的な女体の美

クリムトの側には常に女の影があったという。絵画のモデルというような愛人のような女たちが常に複数人おり、その女たちとの間に幾人もの子供がいた。

f:id:sss_xxx:20190706002508j:plain

『ユディトI』1901年

本展示会の目玉作品となっている『ユディトⅠ』も官能的で恍惚とした表情が印象的である。女性の描き方自体には印象派のようなぼやけた様々な微妙な色使いによる肌の質感が見て取れる。

しかし、ここで注目してほしいのは、「女」を際立たせる構図である。ここでも日本の絵画のスタイルが取り入れられている。大きく分けると、(i)輪郭線の強調、(ii)極端に細長いキャンバス、である。

(i)輪郭線の強調

まず、人物や物体の輪郭が線で表現されるのも、ジャポニスム以前のヨーロッパではあまり見られない表現方法であったという。背景と人物が同化してしまうような印象派の絵画と違って、クリムトの絵は人物の輪郭を線で画してしまうことによって、絵画の中心である女を目立たせることができる。

(ii)極端に細長いキャンバス

クリムトの絵画には極端に細長いキャンバスに描かれたものがある。これも日本画の影響だとされており、日本画だと「柱絵」と称される。柱絵とは住居の柱に貼り付けられて鑑賞されてていたものであり、使用方法から綺麗な状態で現存しているものは非常に少ない。細長い構図の中に人物が押し込まれたように見えることで、人物以外の余計な情報を排除することができ、人物の表情や動きに視線が集まって集中して見ることができる。定型的な長方形の中に描くのではなく、あえて細長いキャンバスの中に女を配置することで、まるで”覗き見”しているような集中度で人物を捉えることができる。

f:id:sss_xxx:20190706002937j:plain

柱絵構図

 左:『女ともだちⅠ(姉妹たち)』(1907年)

③抽象的な幾何学

f:id:sss_xxx:20190706005857j:plain

ベートーヴェンフリーズ』

クリムトの特徴といえばもうひとつ、絵画を彩る幾何学模様である。背景や人物が着る服などに散りばめられている独特な幾何学模様が、どことなくクリムトの描く世界観がこの世のものではない神秘的な雰囲気であることを感じさせる。当時流行っていたアール・ヌーボーの影響であると言われているが、同時にまたしても日本の影響があることを指摘されている。

ベートーヴェンフリーズ』をよく目を凝らしてみると、幾何学模様が家紋のように見えるのである。また、上の『女ともだちⅠ』には市松模様が用いられているし、度々見られる曲線は『紅白梅図』の波線を模したようにさえ見える。

クリムトが懇意にしていた女性が日本のテキスタイル、つまり着物を愛用して収集していたと言われている。日本の着物のデザイン性に感銘を受けて、それを取り入れたのだと思われる。

f:id:sss_xxx:20190706010934j:plain

赤子(ゆりかご)(1917年)

 

まとめ

 クリムトは、ある意味0から1を生み出す美術家であったとは言えないだろう。絵として綺麗ではあるが現代絵画としてはメッセージ性に欠けるし、デザインの域を出ていないように思える。しかし、西洋絵画と日本絵画の特徴をここまで練り上げて、誰も真似することができない自己のスタイルを確立させた美術家はいない。既存の絵画スタイルに囚われない他文化の要素を取り入れ融合する発想の柔軟性、結晶させられるセンスにおいては随一の作家であろう。デザインを美術として昇華させた、という意味ではクリムトの右に出る者はいない、と個人的には思う。

 

本展覧会について

本展覧会の展示方法としては正直微妙であったと思う。クリムト自身の作品数が少なかったせいだけではなく、展示の流れが何を伝えたいのかよくわからなかったのだ。小タイトルが細かく別れすぎていて、その中身を充実させていない。クリムトの生涯を追う形の展示と思いきや、時系列はばらばらであった。日本画の影響についても展示会の中で散財していて、統一的な理解に至りにくい。コンセプトの軸の通っていない展示会だと個人的には思った。

 

おわり